神社のこと(2)ー 運動神経はここで育まれた

神社の裏に住んでいた頃の話。

境内に入る手前には幅1.5メートルほどのドブ川が流れていました。今は綺麗になっていますが、この頃(1960年代)は環境問題なんかお構いなし。主に生活排水の影響でしょうが、川底の泥は真っ黒でひどい臭いがし、あちこちに糸ミミズが群生していました。

このドブ川に線路の枕木のような材木が二本渡され、そこを渡ると高さ1メートルほどの石垣の上の神社の境内に入ることができました。

生まれた時からここにいるから、しょっちゅう連れて行かれたのですが、たぶん自分でこの橋を危なげなく渡ることができるようになった3歳ぐらいからは、一人で行っていたと思います。

なぜだかわかりませんが、この頃、この神社の境内には子供の遊具が設置されていました。滑り台と砂場、ぶらんこ、鉄棒、ジャングルジム、うんてい、シーソー、親子ブランコ(箱ブランコの方が一般的な呼び名みたいですね)。

と思っていま検索したら、子供が多くなり始めた頃にそういう子供の遊び場を確保しようという政策があったという記載がありました。他にはっきりした記事が見つかりませんでしたが、かなりお金のかかる話でもあり、自治体が整備していたんでしょうね。児童公園を整備できない場所での代替策だったんでしょうか。

また、昭和40年代は交通事故死者が急増した時期なので、その対策かもしれません。確かにこの神社の周りには交通量の多い道がなく、小さい子供でも安心できる環境でした。

当時はまだガキ大将がいた時代。そんないい環境には村からガキどもが集まってきます。私は主に隣に住む一つ年下の友達とその中に参加していました。

単純に走ることから、缶蹴り、ボールを使ったバラあて(ドッジボールのコートがないような遊び)、キャッチボール、滑り台の手すりを滑り降りたり、ブランコでジャンプして前の柵を飛び越えたり、上に書いたドブ川を飛び越えたりと随分鍛えられました。

冷や汗ものの危ない場面にも遭遇したことがあります。隣の友達ともう一人、村からきていた2〜3歳年下の男の子と親子ブランコで遊んでいた時、無茶な乗り方(ちょっと表現できない)をしていたその男の子が、限界まで大きく振れているその箱ブランコの下に落ちてしまいました。

その瞬間重大事故が目に浮かび、一緒に横で見ていた友達と慌ててブランコを止めようとしたが、とてもじゃないけど間に合いません。もうアウトと思ったら、その子は地面とブランコの間の20センチそこそこの空間に機敏に身を伏せて、ぎりぎりで難を逃れました。すぐに二人でブランコを止めましたが、あれは本当に危なかった。

調べて見ると、同様の状況で箱ブランコの重大事故がけっこう起きていたようですね。今では撤去されていることも多いようです。もしあの時、体の一部でもブランコに引っかかっていたらと思うとゾッとします。そんな場面に居合わせたなら、今ここで神社の話など書く気にはならなかったでしょう。多分小学校1、2年の頃のことだったと思います。

こんな綱渡りみたいな場面も見たけれど、小学校低学年あたりまでは、随分ここで遊ばせてもらいました。当時は野球真っ盛り。キャッチボールも随分したし、社殿を囲むブロック塀や石垣めがけてボールをぶつけたりと随分失礼なこともしましたね。すみません。

でも、小学校低学年のキャッチボールには十分な広さでも、打撃練習には狭い場所だったから、バットでボールを打つ練習はぜんぜんできませんでした。だから、守備は上手になったけれど打つほうがからっきしだめで、その後の草野球人生では全く活躍をすることができませんでした。

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