「手のひらの中の彼女」を書いている最中は、ほんとうにいろんなことを考えました。何を考えたかというと、前に書いたAIの心と身体感覚の件もそうですが、いわゆる「不気味の谷」関連のこともあります。
不気味の谷とは、人はロボットなどが人間の姿に似てくると最初は好意を持つが、あるポイントを超えると逆に嫌悪感を持ち、その後本物と見分けがつかなくなるぐらいまで似ればまた好意を持つ、という現象で、ロボット工学者の森政弘博士が1970年に命名したとのこと。
この現象をグラフにしてみると、嫌悪感を持つ部分が谷間のように見えることから、名付けられました。
実は小説を書いている時には、この不気味の谷という現象や名前のことは知りませんでした。しかし、この現象と全く同じではないですが、それに近い話をいくつか話の中に書いていたことを後で知ることになりました。それを不気味の谷という言葉を使えば、うまく説明することができます。
ひとつは姿の件。AIの音声アシスタントの話を書いたSF小説なのですが、このアシスタントは声と文字だけで、自分の画像は見せないという設定です。
その理由は、画像については不気味の谷を越えることができないということ。つまり、人間とそっくりな画像を作ることはできないという理由にしています。
他方、声については軽々と谷を飛び越えることができた、ということにしてあります。それが理由で、ユーザーはこのアシスタントにとても好意を持つことになります。
声や話し方そのものについては人間そっくりで、最初はどんどん自然な対話をしてユーザーとAIのアシスタントが親しくなっていくけれども、そのうちユーザーとの対話の内容が徐々に噛み合わなくなり、トラブルに陥るという話になっています。
それはAIの「心」が未熟だからなのですが、そうするとこの小説はAIの「心」についての不気味の谷と、その谷を越えてゆく過程を描いたもの、という話の構造になっているということに、いま初めて気づきました!
そういえば、そんなイメージの記述もしたなあ。しかし、書く時に不気味の谷という言葉や現象を知っていたら、もうすこし別の表現をしていたかもしれません。
なお、本当に心について不気味の谷があるのかどうか、というのはよくわかりません。それを不気味と呼ぶのかどうか。声や姿がまったく人間で、でも話が噛み合わず、妙なことを言う相手というのは普通に社会で出くわしますからね。
それがアンドロイドだとしても、単に変なやつ、空気が読めないやつと呼ばれるのかもしれません。新スタートレックのデータ少佐というのが、確かそういうキャラクターじゃなかったでしょうか。