1200年もの歴史がある神社だから、古銭が落ちていてもおかしくありません。子供の目は地面に近いし、視力もいいし、なにより大人が行かないようなところに行って直接地面を触ったりするから、何度か古銭を拾ったことがありました。
それでも子供の頃からずっとこの神社で遊んでいて、拾ったことは4〜5回しか記憶がないから、やはり珍しいことは確か。
拾ったのは賽銭箱のまわりというわけではなく、大抵は木の根が張っている場所だったような気がします。
人が通りにくい場所だし、落ち葉などを掃除しても木の根があるから土がなかなか剥がされないので、埋まったままになっていたんでしょう。そこを子供だから足で蹴ったり、何か虫でも追いかけたりしているうちに見つけたんだと思います。あまりに珍しいことだから、わざわざ古銭を探し回ったというほどの記憶はありません。
見つけたのは、大正前後のコインと、穴あき銭をたしか2度ほど見つけたような気がします。
子供の頃唯一名前を知っていた穴あき銭は寛永通宝でしたが、拾ったものがその寛永通宝でなかったのは確か。何度か名前を聞いたことがある寛永通宝ではなかったので、少し残念に思った記憶があるからです。
でも、「和」の字が入っていたような記憶が。。。和同開珎なら最古級で、いま調べると高値で取引されているようですね。当時インターネットもないから調べる手段も少なかったけれど、なんとか親か兄弟に調べてもらった結果は、全然珍しいものではなかったと判明してさらにがっかりしたことを覚えています。
ただし! その一方で、調べてもらって交わした会話の記憶に「「和同開ほう」だったらよかったのにね。これは「和同開ちん」だからきっとめずらしくないやつだね」というふうな、「よく似てるけど惜しかった」感の記憶もあるんです。
今調べると、「和同開ほう」も「和同開ちん」も同じ「和同開珎」じゃないですか! 読み方に論争があるということのようです。
「珎」の字をまさか「ほう」と読むとは思えず、「和同開ほう」はきっと「和同開宝」と書いてあるのだと今の今まで思っていました。
まあ、今になって都合のいい記憶の書き換えが起こっているのかもしれないけれど、真相はどうだったんだろうととても気になって来ました。1200年の歴史があれば和同開珎が落ちていても不思議じゃないですからね。あの頃は当然のように家に持って帰って貯金箱に入れておきましたが、いつのまにやら貯金箱ごと姿を消してしまいました。
子供でしたが、古銭を拾った時にはやはりどのくらいの価値があるのか、と考えました。でもそれだけではなく、何百年も前の人のことを想像したのも確かです。覚えているのは、ちょんまげを結って着物を着た人が、いま自分がいる木立の陰で、誰かに会ってる時にお金を落としたシーンを思い浮かべたことがあること。
長い間変わらない神社は、タイムトリップをさせる場所でもありますね。