神社のこと(4)ー 古銭

1200年もの歴史がある神社だから、古銭が落ちていてもおかしくありません。子供の目は地面に近いし、視力もいいし、なにより大人が行かないようなところに行って直接地面を触ったりするから、何度か古銭を拾ったことがありました。

それでも子供の頃からずっとこの神社で遊んでいて、拾ったことは4〜5回しか記憶がないから、やはり珍しいことは確か。

拾ったのは賽銭箱のまわりというわけではなく、大抵は木の根が張っている場所だったような気がします。

人が通りにくい場所だし、落ち葉などを掃除しても木の根があるから土がなかなか剥がされないので、埋まったままになっていたんでしょう。そこを子供だから足で蹴ったり、何か虫でも追いかけたりしているうちに見つけたんだと思います。あまりに珍しいことだから、わざわざ古銭を探し回ったというほどの記憶はありません。

見つけたのは、大正前後のコインと、穴あき銭をたしか2度ほど見つけたような気がします。

子供の頃唯一名前を知っていた穴あき銭は寛永通宝でしたが、拾ったものがその寛永通宝でなかったのは確か。何度か名前を聞いたことがある寛永通宝ではなかったので、少し残念に思った記憶があるからです。

でも、「和」の字が入っていたような記憶が。。。和同開珎なら最古級で、いま調べると高値で取引されているようですね。当時インターネットもないから調べる手段も少なかったけれど、なんとか親か兄弟に調べてもらった結果は、全然珍しいものではなかったと判明してさらにがっかりしたことを覚えています。

ただし! その一方で、調べてもらって交わした会話の記憶に「「和同開ほう」だったらよかったのにね。これは「和同開ちん」だからきっとめずらしくないやつだね」というふうな、「よく似てるけど惜しかった」感の記憶もあるんです。

今調べると、「和同開ほう」も「和同開ちん」も同じ「和同開珎」じゃないですか! 読み方に論争があるということのようです。

「珎」の字をまさか「ほう」と読むとは思えず、「和同開ほう」はきっと「和同開宝」と書いてあるのだと今の今まで思っていました。

まあ、今になって都合のいい記憶の書き換えが起こっているのかもしれないけれど、真相はどうだったんだろうととても気になって来ました。1200年の歴史があれば和同開珎が落ちていても不思議じゃないですからね。あの頃は当然のように家に持って帰って貯金箱に入れておきましたが、いつのまにやら貯金箱ごと姿を消してしまいました。

子供でしたが、古銭を拾った時にはやはりどのくらいの価値があるのか、と考えました。でもそれだけではなく、何百年も前の人のことを想像したのも確かです。覚えているのは、ちょんまげを結って着物を着た人が、いま自分がいる木立の陰で、誰かに会ってる時にお金を落としたシーンを思い浮かべたことがあること。

長い間変わらない神社は、タイムトリップをさせる場所でもありますね。

アダムの選択(亜東 林)

 

手のひらの中の彼女(亜東 林)

 

シライン(亜東 林)

 

LIARS IN SPACE (Rin Ato):シライン英訳版

英訳の経緯はこちら

 

 

りょうこの誘惑(3)ーシュレーディンガーの猫がもつれる表紙

短編集の中に入れていた「りょうこの誘惑」という話を切り出して、アマゾンで売りに出そうと思い、下の表紙をつくって審査にだしたら、見事アダルトカテゴリーに入れられてしまいました。


ボツになった「りょうこの誘惑」の表紙

確かに下品な話を書いてあるんですが、別にNGワードが書かれているわけではないし、センスとユーモア溢れる(笑)内容のはずなのにとっても残念。タイトルと表紙の印象で通常カテゴリーからはじかれてしまったようです。

そもそも、量子力学の話題をネットで勉強して書いた話だから、アダルトカテゴリーだと思ってこの話を読んだ人は怒るだろうと思い、あきらめて取り下げました。

ちなみに、ボツになったこの話の紹介文は以下のとおりです。

『科学の進歩は意外なところから始まることもある。
それがネット掲示板の書き込みであったとしても、人類にとって計り知れない価値を持つ可能性だってあるのだ…いや、ないか。最新科学をネットで調べて独自解釈した、超短編ナンセンスSF。
(本作品は「短編集 得失点差の小さい男 他四編」に収録されています)』

自分では話の中身もとても気に入っているんですが、表紙を作る時に思いついたこの二匹の猫の絵も抜群に気に入ってしまいました。

量子力学では、生きてる状態と死んでる状態が重ね合わさった状態の「シュレディンガーの猫」という思考実験が有名で、よく解説書なんかに猫のイラストが使われます。

もうひとつ、この話の鍵である「量子もつれ」という現象を合わせて表現したこの表紙の画像。いいと思うけどなぁ。

なぜこの表紙が量子もつれと関係があるのかと思った人は、ぜひ「量子もつれ」という言葉でネットの画像検索をしてみてください。

というわけで、この話は↓の短編集にひっそりと入っていますので、よろしかったらどうぞ。


ただいま工事中

 

補足:ちなみに、この猫の絵の元になった写真はこのブログ記事にあるマレーシアで撮った猫です。

一つ疑問が湧いて来た。なぜ黒と赤の組み合わせがエロティックな印象を与えるんだろう?自分もこの色の組み合わせを使ったから、自然に頭に入ってるんだけど、赤はまあわかるとしても、なぜ黒なんだろうか?変なサイトの見すぎなのか?

 

「シライン」もよろしく↓

神社のこと(3)ー 自転車

思い返して見ると、よくこんなことをやっていたなと思います。それを許してくれていた神社には感謝するしかありません。

自転車に乗り始めたのは4、5歳ぐらいですが、当然のごとくこの神社で練習をさせてもらいました。最初は自転車を押して木の橋を渡るのが大変でしたが、体が大きくなるにつれ苦もなくなったように記憶してます。

車が来ないので、補助輪外しの練習をするにはもってこいの場所でした。しかも、この神社は本殿と拝殿の間が塀でつながっていて、その周囲を自転車で走ることができます。

補助輪が外れると、当然のように近所の子供たち数台でここを周回するレースが始まりました。コースの途中には木の根が出たところがあり、それを使って思いっきりジャンプをしてみたり、急ブレーキをかけて後輪をすべらしてターンしてみたり。

このぐらいならまだいいですが、そのうち別の子供の集団が来て、こともあろうかこっちとは逆回りのレースを始めたり。石垣の角を回る場所があって、完全なブラインドコーナーになってるから、衝突事故も頻発してました。

大きな石碑や石でできた柵のあたりでは、狭い空間をどれだけ足をつかずに通過できるかという、今で言うトライアル競技のようなこともしてましたね。当時はもちろんそんなスポーツのことは知りませんでしたが。

自転車といえば、この神社の境内で自分の自転車を強奪?されたことがありました。小学校1、2年生の頃、自転車に乗っていると、たぶん5、6年生ぐらいの上級生が歩いてやってきて自転車を貸せと言います。

見ると大きな透明のビニール袋を持っていて、中には水と大きなフナが一匹入っていました。たぶんどこかの川か池で獲ったのでしょう。これが重くて歩くのが大変だから自転車を貸してくれと。

内気も内気の自分としては、抵抗することなど考えも及ばず、そのまま貸すとどこかへ行ったきり帰ってきませんでした。

その翌日、母親に連れられて交番に行って届けを出しました。おまわりさんに、どんな状況で自転車を持って行かれたのかと聞かれても、恥ずかしくて何も答えられず。今考えてみれば、母親にもフナのことは話しておらず、あとで話すとなんで今頃話すんだと呆れられました。

結局自転車はそのままなくなってしまった、と思っていたら1週間ほどしてから、500mほど離れた別の神社で境内に放置されていた自転車が見つかったと警察から連絡がありました。

この神社も同じぐらい古い由緒のある神社です。まあ、哀れに思った神様が連携して自転車を返してくれたんだと思っています。

アダムの選択(亜東 林)

 

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