マレーシアの政変とマハティール首相の辞任

※日付間違いがあったので修正しました(2/27)

※追記しました(2/27)(2/28)(2/29)(3/1)(3/2)

マハティール首相が24日に辞任したというニュースは見ていました。背景には政党間の対立みたいなことがあったとも。

マレーシアの政治は2018年の劇的な選挙以来大きな動きがないので、最近はニュースもほとんど見ていませんでした。なので、24日の件も「へぇー、そんなに対立があったんだ。さすがにもう歳だし、この辺で引退するのかな」とわりとあっさりと見ていたのが今日まで(2/26)。

でも、知り合いに今マレーシアは、コロナウィルスの話題から首相の辞任の話題一色になっていると言われ、まあそれはそうだろうと思いながら何が起こっているのかと見てみれば…

Malaysia Kiniという単一のニュースソースから見ただけですが、ざっと理解したところを書くとこんな感じです。なんだこれは!という感じです。

 

与党連合を構成する最大党PKRから11人ほどが離反。リーダーはアズミン・アリ経済担当大臣。それと同時に、2年前の前回選挙でマハティール氏が自ら立ち上げ、現与党連合を大勝利に導いた政党PPBMが、与党連合から脱退のうわさ。

これらのメンバーに加え、長年政権を担ってきたが前回の選挙で負け今は野党であるUMNOや、イスラム系の政党PAS、独特の位置付けを持つサバ州やサラワク州の有力政党のメンバーが、KLのホテルや宮殿などに入り乱れてなにやら話し合いをする。

これが23日(日)の1日で起こったみたいです。もちろん誰かが背後で画策しているということ。

憶測としては、アズミン氏が全体を計画し、与党を脱退した自分たちとPPBMが現在の野党と組んで、マハティール氏を首相として新たに政権をとろうとしたというのが、ありそうなこと。

前回選挙の際、マハティール氏は自身が首相になった際の任期は2年間ほどにとどめ、次期首相はPKRのアンワール氏に譲ることとして選挙戦を戦った経緯あり。

しかし、マハティールシンパの中には、マハティール氏には任期最大まで首相を勤めてほしい(確か、下院議員の最大任期である5年)と考えている人がいて、それを狙った可能性がある。

ところが、この動きに対しマハティール首相は、翌24日に首相を辞任。マハティール氏は、そのすぐ後に自身が所属するPPBMの最高評議会の議長も辞任することを発表。

なお、PPBMも同じ頃に与党連合脱退を正式に発表。

アズミン氏とPPBMはこの段階で、当てが外れたということなんだろうか?

一方、日曜日の動きはマハティール氏が裏で糸を引いたのではないか、という憶測も当然出てくる。

しかし、首相辞任の前にマハティール氏とアンワル氏は話をしたそうで、アンワル氏はこの説を否定。アンワル氏はマハティール氏の辞任の意向を撤回するように説得したがダメだったと言っている。

前回の選挙で現与党連合が勝った理由は、前政権の腐敗を糾弾し、政治を改革するというアジェンダを掲げたからであり、そのような前政権の人々と一緒に仕事をすることはできない、というのがマハティール氏の考えとのこと。

マハティール首相の辞任により、与党連合政権は瓦解、内閣も解散することになった。国王は、次の首相が正式に決まるまで、マハティール氏を暫定首相に任命。

マレーシアではこの状況に対して、国王が議会を解散して選挙を行うか、あるいは国王が、議会をコントロールすることができるだけの支持を持つ議員を次期首相に指名することができるらしい。

そこで、25、26日の両日、国王は全国会議員を順次宮殿に呼んで、各議員の支持者をヒアリングしている。

PKRも有力与党のDAPも基本はマハティール氏を支持する様子で、PPBMも、おそらくアズミン氏のグループもマハティール氏を支持するだろうから、結局またマハティール氏が次期首相になるということか?

なお、このように議員一人ひとりの意向でマハティール氏が首相に選ばれると、政党が動かす政府ではない、統一政府(?)が出来上がる可能性があり、これを歓迎する声もある。

また、マハティール氏がこの形式の政府の成立を目論んでいたとの憶測も。

UMNOや野党連合は最初このアズミン氏とPPBMの話に乗る姿勢を見せていたが、この憶測もあり、結局は撤回し、マハティール氏を支持しない様子。

あれ、今またwebを見たら、マハティールさんが演説して、統一政府の成立を望んでいたと言っている。

ひょっとして、これ全部画策したということですか?あ、それともこのチャンスを利用して、国王に統一政府が成立するように助言したということかな?

 

おそるべし、マレーシアというかマレー人。

(2/26記)

 

追記:

◯26日夕方のマハティール氏の演説の全文が出ていた。

-首相交代のチャンスはある。しかし自分は双方(たぶん与党支持、野党支持の双方の国民)から支持されているので、辞める時期はまだ来ていないと思う。

-自分にもっと時間をくれと言ったが、PPBM(文中ではBersatuと表記)は与党連合を脱退することを決めてしまった。(この「時間」が首相としての任期なのか後述の「統一政府」を作るための時間なのかよくわからない)

-PPBMとアズミン氏がUMNOなどと組むと、前回選挙で負けたUMNOが政権の中心になってしまう。

-UMNOのメンバーが、党を飛び出して別の党に入るなら自分は受け入れたいが、UMNOが党として「統一政府」に加わることは受け入れられない。だから、辞任せざるをえなかった。

-政党が中心ではない、国益を考える「統一政府」を作りたい

など。(2/27記)

 

◯最近のマレーシアの政治は全然知らなかったけど、だいたいこんなことが起こったんですかね、と想像してみました。

・マハティール氏は未だ芳しくないマレーシア経済の立て直しや、汚職の追放などのために、まだ首相としての時間が必要と考えていた。アンワル氏には、今年11月のAPECサミットの後に引退したいと提案し、アンワル氏は寛大にも合意していたもよう(本来は5月で2年が経つ)。

・マハティール氏の党であるPPBMや側近たちは、もっと長期にわたって首相にとどまることを望んでいるが、与党連合にいる限り圧力を受け続け、今年首相の座をアンワル氏に譲ることにならざるを得ないと感じていた。

・マハティール氏が本心でどこまでの任期を望んでいたかはわからない。むしろ、任期に拘るのではなく、これでうまくいくというところまで持っていきたい、という考え方のはず。

・その一つの目標として、マハティール氏は「統一政府」という政党の党益とは距離を置き、UMNOやPAS支持の国民からも協力を得られやすい政府を作ることを模索。そうすれば任期の件も縛りがゆるくなる可能性もある。

・PPBMや近しい人とも「統一政府」実現の方策をずっと相談していたが、実現には時間がかかっていた。しびれをきらしたPPBMやアズミン氏が突っ走った。しかし、党としてのUMNOとの協力は受け入れられないという、マハティール氏の今の胸中を見誤っていた。

私もマハティール首相辞任のニュースを聞いて、最初に思ったのはUMNOに政権を戻そうとしているのかと思っていました。(2/27記)

 

◯26日のマハティール氏の演説のすぐあと、与党連合は首相としてマハティール氏ではなく、25日(火)からはアンワール氏を支持することにしていたと発表している。そうなると、数的にはアンワール氏が最大か。でも過半数は取れないはず。そうすると選挙?でも選挙を嫌がる声も多いようだ。(2/26記)

 

◯26日、マハティール氏の「統一政府」構想は、与党連合主要党のDAP(華人が多い)からも批判されている。もし、そんな政府ができたら首相は何の説明責任も持たなくなるからだと。(2/27記)

 

◯27日朝。マハティール暫定首相は政党政治ではない「統一政府(あるいは団結政府と言ったほうがいいかも)」を作りたいと言い、与党連合はPKRのアンワル氏を首相にしたいと言い、野党連合とイスラム系のPASは議会を解散して選挙をすべきだと言っている状況。

しかし、いずれも議会の過半数を得ていないため、判断は国王に委ねられている。今日、その判断が下されるかどうかも不明。(2/27記)

 

◯27日午後、DAPは「もし統一政府を考えるなら、それは与党連合の上に構築されるべきだ。統一政府の考えは魅力的だが、与党連合を裏切った上で国の統一を図る政府を構築することはあり得ない。統一政府を作るなら、理想的には前回選挙で約束した義務を負う与党連合の上にそれを作って、他の党を説得すべきだ」と言う。

様々な可能性に対応できるように、軌道修正しているように見える。(2/27記)

 

◯27日午後、アンワル氏は「与党連合と、そこを離れたPPBMとの関係は流動的だ」と発言。これも様々な可能性に対応できるようにしているみたい。(2/27記)

 

◯州政府レベルでは、PPBMとUMNOやPASとの連合もあるらしい(ジョホール州、PPBMの党首ムヒディン氏の地元)。(2/27記)

 

◯27日夕刻、マハティール氏の言。「国王は明確な過半数の支持を集めた首相候補を見つけられなかった。だから、国王は正しい議論の場は議会であると言っている。従って、3月2日に議会が招集され、そこで過半数の支持が得られた者が首相になるだろう。しかし、もし議会が過半の支持を得る者を見つけられなかった場合、我々は選挙に進まねばならないだろう」(2/27記)

 

◯27日夕刻、マハティール氏は午後にPPBM党首のムヒディン氏に会い、ムヒディン氏が党としての首相候補になることについて議論したと話す。多くが彼を支持するなら、マハティール氏はそれでも構わないとの意向。ただし、ムヒディン氏はUMNOとの全面的な協力を受け入れており、マハティール氏とは見解が異なるとも。なお、PPBMに請われ、マハティール氏はPPBMの最高評議会の議長に留まることになった。

これで、アンワール氏とは完全に決裂したということか?(2/27記)

 

◯PPBMは、来週3月2日の議会で、マハティール氏とムヒディン氏のどちらを首相候補とするか、決めあぐねているようだ。(2/28記)

 

◯その他、マハティール氏は議会の招集やそのアジェンダ(次期首相の選定)の設定を発表したが、それは憲法に定められた国王の権限であり、同氏の行動はそれを逸脱するものだといった批判が出ている。(2/28記)

 

◯29日夕刻。なんと!国王はムヒディン氏を首相に指名。UMNO政権復活!

 

◯マハティールさんのインスタグラムの投稿にものすごい数のコメントが寄せられています。お疲れ様でした!と思わず日本語でコメントしてしまいました(^_^)(3/1記)

 

◯28〜29日にかけて。しかしまあ、どうなってるんだろう。PPBMはムヒディン氏を首相候補に決定。その後、現野党に多数派工作。それで多数が得られそうになるや、今度は現与党連合がアンワール氏からマハティール氏に首相候補を再度変更。マハティールサイドはその後も多数派工作を進め、29日に僅差で多数を得たことを国王に報告しようとしたが、夜国王はムヒディン氏を第8代の首相に指名することを発表。(3/2記)

◯翌3月1日の朝、ムヒディン氏は首相就任の宣誓。しかし、国王は同氏が何人の国会議員の支持を得たのかを公表しておらず、いずれが多数派だったのかについて疑義が渦巻いている。午後、街では二年前の政権交代を支持した人たちの抗議活動も起こっている。アズミン・アリ氏などに近かったPKRの議員が、怒った支持者から襲われるなんてことも。(3/2記)

◯マハティール氏がクローズドの会議で話したことが一部漏れていたが、同氏はムヒディン氏とアンワール氏の双方を非難していた。ムヒディン氏についてはUMNOとの協力を容認したこと。アンワール氏については一時的に与党連合の首相候補をアンワール氏に切り替えたことを。もしそうしなければ、マハティール氏が多数を取れたはずだとのこと。(3/2記)

◯ひょっとすると、この一週間の騒動はマハティール氏とムヒディン氏が謀ったことかと思っていた。結局最後の候補者二人は同じPPBMの人間だからだ。でもどうやら違ったようだ。マハティール氏は多数を取るために、かなり激しい動きを短時間で行なったようだし、最後にはムヒディン氏を裏切り者だと言っている。さらに、多数の支持を得たのがどちらかはっきりさせようとしている。(3/2記)

◯しかし、まだ事態は不安定のようだ。前与党連合(ややこしい)は、次に開催される議会で首相の不信任動議を出す話をしている。有識者からも議会でこのことをはっきりさせるべきだとの声も。次の議会は3月9日開会が予定されているようだが、一番最初に議長の選出が行われるので、これがまず最初の信任決議になるのではないかと言っている。ただし、首相の権限で開会の延期もできるようなので、その間に多数派工作がなされる可能性もある。これから、議会の開会まで、水面下(上でも?)で激しい支持の取り合いがおこなわれるはず。(3/2記)

◯上のインスタグラムの動画を見て、マハティールさんはこれを機会に政権争いからは一歩引くのかと思ったら、全然やる気満々。歳なんか関係ないということですね。(3/2記)

 

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AIの創造性を考えてみる

私には技術的な限界がないから、つまりそもそも技術を知らないから技術の限界もわからないし、何かを実際に作らなければならないという責任もないので、躊躇なく無限の可能性を考えることができます。

と都合の良い立場を生かして、いろいろ考えてきたことのなかに、人工知能の創造性の話があります。

最近話題になるAIのニューラルネットワークとかディープラーニングなどの成果をテレビで見たり本を読んだりして、これは本物だ、このAIはこれからどんどん発展していくと思いました。

一方でどれだけこういったAIが進歩していっても、限界があるのではないかなと思うのが創造性の部分です。

例えば、こんな疑問です。今のAIに大量のデータで学習をさせたあと、それ以上は新たな学習をさせずに外部との連絡も完全に断ってから、まず「ひまわりの絵を描け」と言います。それでひまわりの絵を描きますよね。

そこで、一旦そのAIのスイッチを切って、もう一度立ち上げ、もう一度「ひまわりの絵を描け」と言ったら、さっきと同じ絵を描くんでしょうか?それとも異なった絵を描く可能性があるんでしょうか?

 

人間の場合は、時間を隔てて全く同じ状態にあることはないので、同じ人間にひまわりの絵を二度描かせても、間違いなく違うものが出来上がるでしょう。ほとんど同じに見えたとしても、花びらの形が違うとか、色が少し違うとか。

人間の脳は体温の変化や血液の化学成分の変化、周囲の音や場合によっては磁気の影響なども受けているかもしれません。そういうものの影響を受けて、脳細胞の信号の伝達が微妙に異なり、思考の結果出てくるものも微妙に異なるのではないかと思います。

そういう不確実さのせいで「何かの拍子にふと頭に浮かんだアイデアを他人に言ったら、悪くない反応だったので、もう一度よく考えてみたら実現の可能性が見えてきた。そこで本格的に調べて研究することにした」といった具合に、ある思考回路をどんどん太くしていって、時として新しい発見や創作物に繋がっていくんじゃないでしょうか。

 

デジタルコンピュータは再現性に優れていて、同じ問題を何度解かせても同じ答えが出るというのが優れたものです。なので、そのデジタルコンピュータを使って構築されたAIなら、基本的には再現性を持つはずです。

もちろんAI自身が、創造性を持つためには思考になんらかの「揺れ」が必要であるということを学習し、そういう不確実な振る舞いをする機能を自らの内部に構築してしまう可能性は十分あると思います。

そういうAIも作られているかもしれません。しかし、それでも限界があるのではないでしょうか。

どうも、人間の創造性にはこうした判断や反応の「揺れ」が必要なのではないかと思うのです。

その「揺れ」は何をもたらすのかというと、多様な行動の可能性であり、その多様性の中で選ばれたある選択肢が、その人間の中で一つの大きな方向性に収斂してくれば、それは「意志」という言葉で表現されるものになるのではないかと思います。

頭脳の中でこの「揺れ」というか不確実性が、実は本質的に重要な意味を持っているのではないか、ということはずっと前から思っていました。簡単に言えば、「脳は時々間違うよ、でもそれが大事なんだよ」ということ。

時々間違うけれども、手ひどい間違いだけは避けて、仮に間違えてもそれを修正してしまう理性や経験を持つ頭脳が、創造性を持つ人間の頭脳なんじゃないかと思います。

じゃあ、AIにその真似をさせるかというと、まだ当面それはないのではないかと思います。例えば、今はAIを使って融資の判断をさせるようなことが行われていますが、同じ条件をインプットしても毎回出てくる答えが微妙に違うなんて嫌ですよね。

でも将来技術がさらに発展して、創造性のある人間と同じような振る舞いをするAIを作ろうとするとき、このように小さなエラーを起こすAIを作る必要があるのではないかと思います。

そのためには、デジタルではなくてアナログの技術を使った(そんなものができるのかどうか知らないが)コンピュータの方がいいのではないかという気がします。

その代わり、そんなAIは時々間違うし、根拠はないけれどきっと速度も遅くなるんじゃないかと思います。だから、真の意味で人間の頭脳を超えるAIを作るのはまだまだずっと先になるのではないか、と思っています。

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AIの意識

AIが発達すると意識を持つのかどうか、私がいくら考えてみてももちろん結論にはたどり着きません。人間の意識についてさえ、それが何なのかよくわからないし。

でも、発達したAIが意識を持つ可能性があるのかどうか、についてはやはり小説を書く中で考え、少し触れています。

所詮フィクションだと割り切って、話の中では勝手なことを色々書いていますが、この意識の部分については考えに考えたあげく、おもしろく書く良い案が浮かばずに思いっきり誤魔化しています。

ただし、書いている途中に思いついたことをスマホにずっとメモし続けていたんですが、AIの意識について書くアイデアに一つ気に入ったものがありました。意識は突き詰めると宇宙に一つしかないというものです。

どういうことかというと、自分以外の他者にも意識があるということを証明するには、自分の意識がその他者の意識を経験してみるしか方法が無い。

しかし、その他者の意識を経験して、自分以外の意識が存在すると確認するためには、その2者の意識が並行して存在していることを認識する別の意識がなければならない。

その場合、結局2者の意識があるのではなく、それを見ている一つの意識の下に2者の意識(のような体験)が含まれてしまっている、ということです。結局その場合も意識は全体で一つしかないという意味です。

この部分を考えていた時のスマホのメモのコピペは次のとおりです。

つまり、より高みの意識が認識する必要があるのよ。それをずっと上に辿って行くと、わたしとあなたは結局いっしょなのよ。一つの意識に集約される。

結局意識は排他的なのよ。排他的なもの(並立を許さないもの)なのに、その一方で何かを認識する意識が存在しているということは、結局なにもかも一つに集約されなければならないということじゃないかしら。つまり、意識の存在を突き詰めて行くと、たった一つの意識に収束するということね。言い換えれば、あなたに意識があるならわたしにも意識があるっていうこと。

これはかなり酔ってますね。酔うと全然ダメになってしまうときと、なんかビビッと勢いよく書いてしまうときと二通りしかありません。

結局、AIに限らず自分以外の他者の意識の存在を知るには、推定あるいは類推によるしかないんじゃないでしょうか。

この考え方は面白かったんですが、こんな風に理屈っぽく書いたらストーリーのバランスが崩れてしまうと思って、ここは思いっきり誤魔化したのは先に書いた通りです。

 

もう一つ話全体を書く上で、AIの意識の話と関連する点は、前にも書いた身体感覚のことです。あるいは感覚器とかセンサーとか言えば良いでしょうか。

これは自分で勝手に言っていることではなくて、こんな考え方はあるみたいです。

一番簡単に思考実験してみると、仮に自分の脳が事故か病気か何かで、皮膚感覚も含めて外からの情報を一切絶たれた時を思い浮かべた場合、その脳で意識の存在を感じることができるのか、ということ。

さらに、こんなことは考えたくもないが、もし生まれる前からそういう状態に置かれた人がいた時、意識を感じることができるのか?あるいはもっと単純に自分の存在を感じることができるのか?ということです。

他者や世界の存在を感じる方法が全く無いという状態です。

たぶん、意識とか自分の存在を感じることはできないのではないか、と思います。

しかし、仮にそこにほんの一部分、自分の頭の皮膚の感覚が戻り、そこを触られた刺激に対して口の隅っこをほんの少し動かすことができたなら、自分の存在を感じることができるのではないでしょうか。

外からの刺激に対して、なんらかの反応をすることによって、外からの刺激のあり方が変化することを知るという経験をすることによってです。

つまり、意識あるいは自分の存在を感じるということは、自分以外の外との関係性によって生じるという考えです。

 

それなら、部屋の状況によって動きを変えるお掃除ロボットのルンバにも意識があるということじゃないか、という話になってしまいますが、実はそう考えるのも妥当じゃないかと思えてきました。

前に書いたとおり、他者の意識が存在することを証明することができないのがもし本当ならば、他者に意識が存在しないことを証明する手段も持っていないんじゃないかと思います。

外見的に外界との相互作用で振る舞いに変化を起こしている物体があれば、それは外見的には自分となんら変わりはなく、しかもその物体に意識はないと否定する根拠はありません。

あるいは逆の考え方もできて、人間はルンバと同じようなものに過ぎず、意識なんて大仰に考える意味はない、と考えることもできるかもしれません。

しかし、人間とルンバが大きく違うのは、ルンバは外界からの刺激に対してプログラムされた決まった反応しかしないが、人間の場合はその時々に応じて、異なる反応をするということなのではないか、それは意識を持った自分が判断して反応しているのではないか、という反論があるのではないかと思います。

でもこれには注意が必要で、当然人間の頭脳はルンバよりも大幅に複雑なので、振る舞いがその時々によって異なるように見えるのは当然です。

しかし、人間の頭脳がどんなに複雑であっても、もし完全に同じ条件下であれば、必ず同じ反応をする、というのでは本質的にはプログラムされたルンバと異なるとは言えません。

でも実は、人間や動物は全く同じ条件下でも、異なる振る舞いをすることがあるんだろうと思っています。ただし、それは意識の存在に関わる話ではなく、創造性に関わる問題なんだろうと思います。それはまた別に考えてみたいです。

 

意識というものの定義にもよりますが、定義を極端に広く捉えた時、極めて低レベルながら、ルンバにもある種の意識があると言うことができるんでしょうか。

将来それがどんどん高性能化されると、意識のレベルが上がっていくということなんでしょうか?もちろん推測、類推ですが。

それとも、意識なんていうものに実体は無く、そこには感覚器を持って、ただ外界と相互に作用をしあう物体があるというだけなんでしょうか?

そういうものは、哲学的ゾンビという名で呼ばれているようです。

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