たった一回やってみただけだが、小説をプロでもない自分が翻訳したというこの経験について、感じたことを書いておく。
1.メリット
元の小説を修正できる
誰がなんと言おうと、著者が自分で翻訳することには圧倒的なメリットが一つだけある。それは、どんどん元の小説を修正していけることだ。
やはり他言語に変換する過程で、元の日本文にたくさんのアラが見つかる。言語的な事の他にも、様々な場面をじっくり考える機会が与えられるので、「あれ?矛盾している」というようなことはしょっちゅうだった。
プロの校閲者の目を経ているわけでもなく、日本文だけを読んでる時には気づかなかったのだ。
プロの作家の作品をプロの翻訳家が訳す時はどうしているのだろう?校閲の段階で、そんな初歩的な問題は全て潰されているということなんだろうか?英語版を作るような場合は既に評価が確立された作品だし、その手の問題は起こらないということだろうか。
費用
大きなメリットはやはり費用かな。たしかに、DeepLとGrammarlyの有料契約をしたが、初年度はいずれも1万円前後だった。あれだけ使い倒せばこの料金は安い。
ちなみに、Grammarlyは毎週一回、前週の自分のパフォーマンスについてメールで報告してくる。最盛期には「あなたは先週Grammarlyユーザーの98%よりも生産的でした」という報告が何度もあった。
トータルで、この一年で約120万語をチェックしたそうだ。同じ文章を何度もチェックにかけているから、確かにそのぐらいにはなるだろう。
2.デメリット
質
やはり質の問題は大きい。前に書いたとおり、いくら翻訳ツールが優秀でも、結局最後に品質の制約になるのは自分だ。
私の場合はDeepLを辞書のように使ったと言えるかもしれない。普通の辞書ももちろん使ったが、普通の辞書が単語の辞書なら、DeepLは表現方法の辞書とでもいうべきものだった。
多数の表現方法から一つを選んで、それを組み合わせて文を作っていくのだ。その組み合わせ方は無限にあるから、そこで自分の能力が表に出てしまう。
もちろん、DeepLが最初に選んだ組み合わせが表現方法としてベストな場合も多くあっただろう。
しかし、元の日本文の不完全さや、主語の性別や単複の問題などから、結局ほとんどの文については手を加えることになった。元のDeepLの翻訳がそのまま残っているものはたぶん数%といったところだろう。
時間
もう一つのデメリットは時間だ。日本文を書いている時も国語辞書は頻繁に引くが、それでも書いたものの文法的なことやできあがった文意については、自分の判断でさっさとOKを出していく。
でも英文ではそうはいかなかった。特に終盤では神経質になって、ほんの少しの修正を施した時も、Grammarlyには一応かけることにしていた。そこで間違いが出ないのならそんなことはやめるのだが、やはり出てしまうのだ。
スペルミスを初め、苦手な単複の一貫性や冠詞の有無などのミスをGrammarlyが発見してくれることはよくある。
今回1年間かかったが、他の用事もやってたし、本の表紙づくりに熱中していた時期もあったので、翻訳に費やしたのは、平均すれば1日に3時間程度だったと思う。しかし、1日の作業量を増やすことは困難だ。5時間もやれば限界がくる。睡魔との闘いだ。
でも、次にもし同じことをやれば三分の二ぐらいの時間でできるだろう。スキルも上がったし、ツールの使い方にも慣れたからだ。
3.終わりに、感想
このブログを書くにあたって調べたら、一年前にこの翻訳に取り掛かった時は、DeepLで日本語を取り扱えるようになってからまだ一年経つか経たないかの時期だったことを知った。
ということはこんな大胆なことをやった人はまだあまりいないのかも知れない。もちろん、他の翻訳ツールもあるからやった人はいるだろうが、正直に言って私自身は、知る限りの他のツールでこれをやる気になったとは思えない。
翻訳の質のほかにも、使い勝手の面でもDeepLは優れていると思う。word文書で二百数十ページを数分で一括翻訳してくれたのにも驚いた。
まあ、これをやったことと小説が売れるかどうかという話は全く別問題だ。でも、webができ、電子書籍のマーケットプレイスができ、そしてこういった優秀な翻訳ツールができ、少なくとも個人の考えに世界中がアクセスできるようになったことは画期的だと思う。この流れが、ずっと加速しながら続いていって欲しい。この小説で描きたかったこともまさにそういうことだった。
翻訳には作業の側面があり、日本語で物語を書いているよりも創造性という観点では劣るものの、決して思うほど辛いものでもなかった。初めて翻訳文を見た時には、横文字になった自分の小説がとてもかっこよく見えたものだ。
脱線すると、日本文の方も英文と対照して見るために横書きに変換したのだが、どうも横書きにすると軽い感じがしてしまう。やはり日本語は縦書きだ。
この一年、根気の塊のようになってやってきたわけだが、コロナ禍のせいで家に篭らねばならないという、特殊な状況があったからやれたことかもしれない。これが経済的な実りを生むとも思えないが、かと言って決してこの努力が無駄だったとは思っていない。ついに出来上がったのだから。
これを作ることに一歩を踏み出させてくれた、AI翻訳ツールの開発者の皆さんに感謝します。と、謝辞にも書きました。
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