小説を書いてみた

ブログを1年間中断したのですが、もちろんネタ切れだったからです。さすがに、日本に住んでいるととても書き続けるだけの材料が出て来なくなってしまいました。いつかまた、マレーシアに住むことができるようになったら書きたいと思っています。

それで、その間何をやっていたかというと、小説を書いてました(笑)。えっ!と自分でも、まさかそんなことをするとはと驚いているところです。書いたからには賞にも応募してみましたけど、やはりダメでした。

でもせっかく書いたもので思い入れもあるし、パソコンデータのままにしておくのは忍びないので、短編集にしてamazon(kindleストア)で電子出版してしまいました。(その後、もう一つもっと長いのも)

以下その顛末を書きます。

 

記憶にある限り、これまで生きてきて創作活動をしたのは40年前、中学3年生の時に担任の先生とやり取りする連絡ノートに2ページぐらいの話を書いたことのみ。

その時は別に求められたわけでもないのに、なぜそんなことをしたのか今でもよくわかりませんが、内容はいわゆる「夢オチ」(けっきょく全部夢だったという結末)でした。

でも、そんな経験しかなくても、いつか小説を書いてやろうというのは、ぼんやりと頭の中にあったのも確かです。

最初は現実世界の話を書いてやろうと、縦書きのエディターソフトを買って書き始めたけれど、20ページほどであえなく挫折。クジラが絡む話で、何冊か捕鯨・反捕鯨の本なんかも読んだけれど、結局こんな話おもしろくないと、自らケチをつけてやめてしまいました。

 

次に書いてみたのは近未来のSF。SFというとスマートで、エッジが効いて、ソリッドでというイメージもありますが、そういうのは苦手なので、ほとんど現実世界をベースにしたものにしました。SF的な要素は、現実よりも進化したちょっとかわいらしい性格のAIが出てくることのみ。

これが完成しました。しかも、後述のものも含めて今までで一番長い話で、中編と言えるぐらいの長さ。驚いたのが、これを書くのがめちゃくちゃ楽しかったことです。もちろん、話の展開に行き詰まってうんうんと唸ることはあるけれど、それをなんとか打開して新しい展開を思いついたときのうれしさは格別でした。

手のひらの中の彼女(亜東 林)

次にもう一度、現実の話に挑戦。前のSFがうまくいったので、複雑な構造の大作にしてやろうと野心満々で書いたけれど、挫折。

今度は面白くないのではなく、最初の設定に難がありました。とある外国が出てくるので実際の国名で書いていたのですが、どうも実名で書くのはよくないと途中から思い直しました。

実名だと事実の確認が大変だし、それができたとしても戦争やら政治やら微妙なことも書かねばならず、腰が引けてしまったんです。かといって、架空の国名にしてしまうと、話が成り立ちません。

というわけで諦めました。これに費やした時間は無駄になってしまいましたが、昔からの思い入れも描きたい内容なので、いつか設定を変えて書けないものかと考えています。

 

長編を書くことのリスクを思い知ったので、次に書いたのは短編。しかも、以前SFがうまくいったので、短編のSFということにしました。

どうやら現実世界の制約を一つか二つ外して、これが違うとどういう世界になるかというシミュレーションをするタイプのSFだと、自分の頭がよく働いてくれるような気がします。

で、書いていてよくわかったのが、SFでもユーモアがあってナンセンスなものが好きなこと。考えてみれば70年代、中〜高校生ぐらいの時にそういうものをたくさん読んだ記憶があります。あのころは、そういう作家の方がたくさん活躍しておられましたね。

結局、出来上がったものも、ダジャレとかパロディが出てくるものになりました。子供のころの影響はやはり強いものですね。

しかし、今の自分が反映されていないかというと、そうでもありません。私は基本的にどれもハッピーエンドの話にしたいと思って書いてたんですが、出来上がったものを見ると、どの話もどこか物悲しい話になってることに気づきました。

どうやら物悲しい話になってしまうのは、古い自分が動きの速い現代に適応できず、もがいているような感覚を常にもっているためのようです。ITがらみの話などまさにそれで、SFならそれに拍車がかかって、さらに悲観的に将来を見てしまっているようです。

でも、そういう時にはユーモアで笑い飛ばすのがいいことは昔から言われていること。だから、今考えるとユーモアとナンセンスの話にしてしまうことも、それはそれで意味があるんじゃないかと思っています。

今回の5つの短編はそんなこと意識せずに書いたので、物悲しい部分とふざけた部分がごちゃ混ぜになってると思いますが、これからはちょっと気をつけて書いてみようと思います。

この5つの短編をまとめて、亜東 林(あとう りん)というペンネームで短編集にしてみました。中途半端に長いのとか、超短編もありますが、よろしかったら読んでみてください。


ただいま工事中

また、これからしばらく、各短編を書いた時に考えたことなんかをブログに書いていきますので、こちらもよろしく。

 

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アダムの選択(亜東 林)

 

手のひらの中の彼女(亜東 林)

 

シライン(亜東 林)

 

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お米を研ぐ意味がわかった

マレーシアで外食ばかりしてると飽きてきて、もういやだ自炊しようと、ある時から突然自炊をはじめました。味にはこだわりのないほうなので、極端にまずくなければいいんですが、お米だけはこだわって値段が高いけれど日本からの輸入ものを買っていました。

ですが、いました。虫が。日本産の米だと書いてあったので大丈夫だろうと思って買ったんですが、よく見るとマレーシアで袋詰めしている米だったんですね。日本からの輸出時には虫はいなかったと思いますが、輸送時かマレーシアで小分けの袋に詰める段階ではいったんでしょう。

その時の虫は、茶色くて丸いやつでしたがお米を研いでいるとポツリポツリと浮いてきました。

日本のスーパーでお米を買ってこんなことを経験したことはありませんし、そもそもお米を研ぐ意味がよくわかっていませんでした。

調べてみると日本ではいまは糠の残りを取るのと、汚れを取ることが目的で研ぐということみたいですね。だけど、精米技術がすすんであまりその意味は分からなくなっていると思います。無洗米というのもありますし。

むろん、精米技術が未熟だったころは糠もいっぱい付いて汚れもあったと思うので、見れば洗うべきとすぐさま思うものだったのかもしれません。

でも、きっと虫です。お米を研ぐ真の理由は。いまは滅多になくても、昔は日本でも虫がよくついたからでしょう。これは当時マレーシアにいた同僚も同意してくれました。

むかしから米は研ぐもの、しかも3回は研ぐこと、みたいに言われてきましたが、たしかに3回は研がないと虫は全部とれません。慎重にやるなら5回は必要でしょう。

KLのしっかりしたスーパーのものならめったにないことだと思いますが、以後お米を買う時は一応じっとビニール袋の中を見てから買うようにしています。

でも、先日3ヶ月ぶりに自分の部屋に戻ってきて米の袋を見たら大変なことになっていました。違う種類のやつでした。封は一度切ったものですが、虫が入らないように口を厳重にしばっておいたんですが、ダメでした。きっと卵があったんですね。

50cmより近くからは直視できず、視線の片隅で見ることしかできないほどに。。。ぎゃ〜

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兼高かおる世界の旅の思い出

兼高かおるさんが先日お亡くなりになりました。とても残念です。

まだ小さい子供の頃、両親が「兼高かおる世界の旅」がとても好きで、毎週日曜の朝に一緒にテレビを見ていました。3〜4歳の頃にはもう見ていたはずです。小さな家だったので、ときには布団に入ったまま家族みんなで見ていました。

カラー放送は始まっていたかもしれませんが、最初は白黒のテレビで見ていたあの番組の雰囲気はよく覚えています。「80日間世界一周」のテーマ曲とパンナムの宣伝も強く印象に残っています。

子供だったけれど、これは外国の映像でとても自分が行けるところじゃないんだとは理解していました。でも、毎週とても楽しみにして興味を持って見ていたのは、家族の平和な時間と結びついていたからかもしれません。

それから、外国とは全く縁なく20年を過ごした大学生の頃、海外旅行をする夢を何度も何度も見るようになりました。抑圧されていたんですね。きっと、この番組の影響で子供の頃からずっと外国にあこがれを持っていたのに、まったく海外に行く機会なんてない自分にだんだん焦りを感じてきたんだと思います。

けっきょく、卒業間際に大学の先生にお金を借りて友人とヨーロッパに3週間ほど行ってから、その夢はパッタリと見なくなりました。でも、その後の仕事選びでも外国へのあこがれはしっかり影響を及ぼしています。マレーシアとの縁は「兼高かおる世界の旅」と間違いなく結びついています。

いまでもあの頃のことを思い出すと、あの時代の雰囲気がよみがえってきます。うちは貧しかったけれど、社会には右肩上がりの希望が満ちていたことは子供ながらに感じていました。こんなことを言うとは歳をとったんですね。

国際化とは全く関係なさそうな地方都市に育った私に、世界への扉を開いてくれた兼高かおるさんとこの番組にはとても感謝しています。

ご冥福をお祈りします。

 

アダムの選択(亜東 林)

 

手のひらの中の彼女(亜東 林)

 

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